11日の地震から二週間が過ぎた。
この二週間、いろんなことに気づかされている。
これまで当たり前にあったものの有難さに気づくことはもちろん、こういうときに人の考え方が多様であること、
いろんな考え方や、いろんな生き方をする人が、この世の中には、たくさんいるのだということにも気づかされいる。
関東地方は、震災後の影響を家庭内や仕事で受けてはいるものの、東北地方の人たちのように、家を失ったり、
避難生活を余儀なくされている状態ではない、言ってみれば、いろんな場面において選択の余地があるから、
余計に今回のことで気付かされているのだと思う。
地震後、企業の今後の方針もいろいろなようだ。
”無期限の自宅待機” とい方針を打ち出された会社は少なくない。私の友達などは、今でも自宅で仕事をしている。
私の勤める会社は、”無理のない範囲の通常勤務”。交通やその他の事情で仕事へ来られない場合は、
”特別休暇”扱いとするということだった。
”無理のない範囲” というのが、人によって違う。
ある人は、”自分が利用している電車が運休なので”という理由で、数日間休んだ。
同じ私鉄電車を使ってる別の人は、あらゆる交通手段を使い、迂回する形で、5時間半もかけて出勤した。
退社時間も、それぞれの判断でということで、当面は遅刻早退扱いにはならない。
ある人は、電車が通常の50%で帰り道混雑するからといって、15時ごろ帰っていくが、
別の人は、帰りのもみくしゃ状態を覚悟で、定時まで仕事をしている。
地震直後に、オットを残して子どもたちと西日本へ避難している人もおり、4月中頃まで特別休暇の申請をした人もいる。
物資に対する思いもいろいろだ。
東京23区のお水を、幼児に飲ませるのを控えるように・・という発令のあと、安全値に戻ったと撤回されたとき、
”あ~、よかった、飲ませて平気なんだね。”といって安心する人もいれば、
”いや、一度あんな発令されたら、心配で飲ませられない。”といって、
ペットボトルのお水を探し続ける人もいる。
幼児ではない、高校生の子どもにも水は飲ませられないといって、必死になっている知人もいる。
この二週間、いろんなことを言う人、いろんな行動を起こす人をみながら、
自分自身のありかた・・について考えているが、答えはみつかっていない。
ただ、自分の立場は一つではない。
自分に与えられている責任も一つではない。
一つはっきりと思うのは、その時その時の状況に応じて生活するしかないということ。
明日のことは誰にもわからない。目に見えない先を案じすぎて、いまやるべきことをおろそかにはできない。
そして、いろんな局面から物事をみなくては・・・と思う。
どうしてよいかわからないときは、自分の判断に委ねない。
風は、かならず、吹くべき方向に吹くのではないかと思う。
本当に避難するべきときは、かならず自分が避難したくなくとも、周りがそういう状況になるはずだ。
祈りつつ、吹く風に身をまかせよう。