高層階のあの大きな揺れを経験し、民族大移動のように、混乱状態で自宅へ帰ってきたので、
家の庭の置物や、バルコニーのテーブル等が、何一つ倒れてもいなかったのが驚きでした。
もっと悲惨な状態を想像しながら家の中に足を踏み入れましたが、
グラスひとつ割れていなかったのが意外でした。
オットは、湾岸高速で浦安あたりを車で走っていたときに被災したそうで、
阪神大震災で、高速道路が横に倒れ、車がつぶれている映像を見たことがあるので、
そのように自分も死んでしまうのではと思って怖かったそうです。
さて、
ちょっと落ち着いた今だから、笑って話せることですが、
私は、昨日、オットと携帯以外でコンタクトを取ろうにも、オットの連絡先が分からず、
かなり恥ずかしい思いをしました。
携帯の生活に慣れていると、何かあってもお互いすぐにつかまえられる・・・
という思いがなんとなくあるからでしょうか、
私はオットの働いている場所を知らなかったのです。
(え~~~~、うっそでしょ??!!!って感じですよね。)
もちろん社名は分かりますが、たくさん事業部があり、似たような名前の場所へしょっちゅう異動しているので、いったい今はどこにいるのか、あまり知らなかったのです。
「信じられない。」と母からは呆れられましたが、そういう母も、一昔前、自分のオットの出張先を知らず、「マレーシアじゃないの?」なんていっていたら、会社の人からの電話で、出張先がインドネシアだと知り、「え?マレーシアじゃないんですか? 」といって恥をかいた経験が。
オットの名刺など持ち歩いていませんし、困った、どうしようと思いました。
とりあえずPCでオットの会社のHPを調べ、人事部へ電話しました。
幸い固定電話は何回かで繋がり、
「すみません、○○○○の家内ですが、うちのオットはどこの事業部でしょう?」
と、尋ねたわけです。。 すぐに教えてもらいましたが、怪訝に思われたでしょう。
「あの、お家の方ですよね?」と、家内と言ったのにもかかわらず、確認をされました。
「全社員の安否の確認はできていますが、とりあえず無事ですから、ご心配なく。」
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今回思ったことは、便利なはずの携帯がほとんど使えなかったこと。
娘の学校からの、”生徒は校庭て避難しています。みんな無事です。保護者の方のお迎えを
お願いします。”という連絡網が私の携帯で確認ができたのは、夜20時ごろ、かなり遅れて
入ってきました。
昨日、たまたま息子がいたので、学校への引き取りを代理で行ってもらえたけれども、
日常的には家にはだれもいないので、こういう災害時、両親どちらとも仕事を持っていて、
家に帰ることができない状況であったとき、学校にどこまで頼れるものだろうかと、真剣に考えてしまいました。
それから、もうひとつ。
電話のつながった息子に、「次の地震がきても、絶対に外に出ないで。」といったら、
「え?お父さんは外に出ろって言ったよ。どっちなんだよ?」 と言われ、
とっさに、「ママの言う通りにしなさい!!」といったけれど、どっちなんだろうと、真剣に考えました。
家族で災害に備えて、いろいろと共通認識をしておかなくてはならないことがいろいろあるものです。
宮城の知人や岩手の知人とは未だ連絡がとれずに心配です。